スピ系女子の[人と世界]を考察するぶろぐ

✴︎関西弁の20代・スピリチュアル✴︎

霊視で学んだ子供の教育の仕方

 

私は発達障害のお子さんを指導する

お仕事を以前していて初めは

教育や指導の仕方は会社の方針や

一般的な常識を元に指導者と言う

ベースを作りました。

 

しかし年月を重ねるにつれて

スピリチュアルな体感を元に

子供へ教育したいと思う様になりました。

 

それは宗教的な考えではなく

霊視した時に子供でも

言葉と本音が一致してない

 

エネルギーを放っていたからです。

 

大人はエネルギー的に見ると

ほとんど言葉に意味はないんじゃないか

と思う程、本音と自己認識に差があり

自己認識が誤認しているから放つ言葉も

方向性が変わっている。そんな人が

霊視をすると多いです。

 

子供のエネルギーを見た時に

自己認識の誤認ではなく

大人に怒られてなくとも

真剣に話をされるこの時間が嫌だ

早く終わりたいから

「こう言っとこう」

 

そんな思春期のあしらい感が

幼稚園児から放たれいている事、

放たせてしまっている教育方法なんだと

思い、どうすれば言葉と本音が一致して

自ら物事に向き合っていく力を

つけられるのか?を考える様になり

後半ではその具体的な方法を書いています。

 

 

まえがきとして私のスピリチュアル感性に

ついてのエピソードから始めていきます。

 

私はその仕事をする前に

南インドで1日4時間のヨガと

1日3時間の瞑想、ベジタリアン、毎日の

ボランティア活動を3ヶ月行いました。

その時、毎日瞑想していてた時に

気の流れやオーラ、チャクラ

エゴを感じられ自分の守護霊や指導霊など

自分の事のみの霊視がメインでした。

自分に集中できる環境が整っていたし

毎日浄化、毎日無になる為のプラクティスを

やりましたが今思うと内省力が上がったのは

子供達と関わる仕事をしてからでした。

 

自分1人で黙々とやっていても

無になる感覚の習得はあれど

人の心理のメカニズムを理解しない限りは

自分の心理もどんな理由でどの様な影響を

及ぼすのかがわからないので

紐解きようがなく内省が進まないので自己理解が

顕在意識で出来ないと言う事に気づきました。

 

そして環境としては子供が沢山

居るのでヨガと比べるとわちゃわちゃで

とても自分に意識が向けられる状態では

なかったものの何か収穫があると言う直感の

期待を胸に仕事を始めると

特に自閉症の子供さんは言葉での

コミュニケーションや人と一緒に遊ぶ事が

少なかったですが私は彼らとテレパシーを

通してコミニュケーションをとる様になりました。

もちろんこんな事は子供達にも周りの大人にも

友達や自分の家族にも言っていませんでした。

 

言えば頭がおかしいと思われるからです笑

 

秘密にテレパシーの実験を繰り返していると

目を合わせたり人と一緒に遊ぶ事が少ない

児童も自ら膝に乗ってきたり

愛のエネルギーを送るとこちらから

何も発言してなくても突然、大好きと

言われたりテレパシーをキャッチして

返してくれる様になりました。

そこから自然霊などの存在や

子供達の過去世のルーツなど

他者の事が見えたり、チャネリング力が伸びてきました。

 

仕事を通して人の心理やスピリチュアルを

フィールドワークする事がとても楽しくて

むしろその為に働いていた私ですが

現実的には大人として子供達に

指導する立場だったので

教育についての表現や何を目的として

何を教えるのかそう言う事を

日々模索とチャレンジを繰り返していました。

 

発達の子供達は自分の感情をありのままに

瞬発的に表現するので手が出てしまう事や

暴言を吐いてしまう事があり

毎日児童同士の喧嘩が絶えませんでした。

 

子供達が喧嘩した時に

私は円滑なコミュニケーションが

とれる事を目的として

叩いたら、「ごめんね」と言う事と

「何故」叩いたらいけないのか

次から「こうしようね」を伝える事に

意識が集中して、ごめんねやありがとうが

言えると任務終了。の様なスタンスでしたが

ごめんねと言った子供の言葉に乗る

エネルギーは「早く話を終わりたい」

あるいは「今はまだ謝りたくない」でした。

 

その後私は

単に真っ当な言葉を言う事がゴールではなく

誘導する場所はそこではないのかもしれない。

と疑問を持ちました。

 

しかしあいにく当時の私は読書には1ミリも

興味がなく、試行錯誤は自分の中でひたすら

こうしてみたらどうなるのか?を

実験的に繰り返しました。子供達が

 

言葉を単なる挨拶の様に

使うのではなく

 

どうしたら言葉と本音が一致し

円滑なコミュニケーションの成功体験を

誘導できるのだろう?と言う事を

考えました。

 

そして色々模索する中で幼稚園児と小学生

人によっても変える必要はありますが

言葉と本音が一致する誘導を見つけたので

小学生バージョンでその方法を

書いてみたいと思います。

 

子供達が喧嘩をしてオーバーヒートしてる時は

視覚的に腹が立ってる相手を見ると

興奮に終止符を打ちづらいので

静かな空間へ移動します。

 

 

激しく興奮している時は音が入る事も

刺激として感じるエネルギーだったので

喧嘩相手でない大人でも「まあまあ落ち着き」と

声をかける事すらもノイジー

感じる様子だったので

静かにし大人の意識的にゆっくりした

呼吸のペースを肌感で感じてもらい

ミラー効果と呼ばれる心理的に人の真似をする

を引き出し呼吸の深さを伝染させます。

 

落ち着いてきた頃に言葉として

憎しみを吐き出す様に何が嫌だったのか

聞いて、その時になんのアドバイスもしません。

単に吐き出す事に対して肯定したり

言った言葉を一語一句おうむ返し

してあげる事で自分の気持ちが自分に

浸透し自覚する事ができます。

もっと言っていいよ。まだある?と言い

言葉で感情を出す事にも限界が来るので

限界が来るまで根気強く付き合います。

 

吐き出す事が無くなったら

喧嘩してた話ではなく日常会話をして

笑顔が出る様になるまで気持ちに

引きずり感が無くなるまで大人と

コミュニケーションをとって

まるで喧嘩なんてしてなかったよね

と言う空気で戻ります。

 

なんの解決にもなってないやんと思ったあなた

安心してください。

これからですよ笑

 

まずは喧嘩してた児童同士が同じ空間に

居ると言う事で冷たい水とお湯が混ざった

空気になりますがそれを馴染ませる様に

全体の空気に委ねます。

 

しばらくしてお互いが敵と言う認識から外れたが

関係性の修復はしたくない。

この中にいる事だけでも許してやってる。

そんな感じの空気ですが

みんなで〇〇遊びしよう!と

その場の波動を一方向に向けるようにし

喧嘩してた児童同士も興味がそそる

エンタメを誘います。

ゲームと称して隣同士に座り同じチーム

に仕向けると人は本能としてこの人と

上手くやっていかないと

このゲームで勝てないんじゃないか?等と

自分のメリットを考えます。

それが本能です。

 

本能の機能を活性化して

ゲームを通して助け合う事で

相手に恩を感じます。

自分によくしてくれた相手に

ひどい事を言っちゃったかもなあ。と

自発的に振り返ります。

そして場の空気の明るさから恥じらいや

シリアスな重みを感じないので

フランクにさっきはごめん!

と自発的に言い合いました。

 

その時に大人がどう言う所が悪かったと

思ったの?と聞いてあげると

自分の解釈を元に反省したポイント

伝えられました。

 

大人としてはどの部分が反省ポイントなのかを

先に教えないとわからないだろうから

謝れないんだ。と思っていたけれど

自分で反省するポイントを決める機会を

奪っていたなあと思いましたし

謝るタイミングは人それぞれで

帰る頃にまた今度ねと挨拶する前に

謝る子も居ました。

 

小学生ですし言葉の意味も使い方も

理解していて

今はまだ、ごめんと言いたくないんだ!

と言う意思を大人が理解せずに

形式上問題を改善する事に意識が

向いていたなあと考えされました。

 

彼らの気持ちの変化を起こす小さな

きっかけの介入は必要なものの

最も大切な事は

 

・自分で考える事

・感情を感じきる事

・気持ちが変化していく様子を体感

・自ら勇気を出して歩み

 寄っていくのを大人が待つ事

・他人の嫌な所と良い所両方見る事

・何を反省しているか決める事

・タイミングを自分で図ろうとする事

・相手の思いを聞く事

 

人は喜ばしい時にありがとうと言えても

ごめんと言う言葉は言わされ待ちや

無かった事になる・言っても心が通ってない

恥ずかしさがあるから言わなくて良いか

とネガティヴな事は回避したくなります。

 

ネガティヴな事であっても

言葉と本音が一致した状態で

自発的に言いたくなる!

やってみたい!

 

を引き出す事の誘導と見守りが

大切なんじゃないかなあと

思いましたし私がスピリチュアルが

好きな事やヨガでしていた誘導や忍耐力等が

繋がる感覚がしていて様々な

経験や知恵をミックスする事で

見え方や考え方が新しい味に

変貌を遂げる気がしています。

 

後に本で読んだのですが

脳の発達には段階を踏む事が大切で

 

感情や欲求、要求、本能、五感の刺激に

よって大脳辺縁系が発達します。

脳が勝手に発達していくのではなく

感覚器官の刺激情報の伝達によって

脳が育ちます。

 

そちらの脳を鍛える事が先で

その後に知能や知識や記憶などを

鍛えると良いそうです。

 

人間にとって基盤となる

幼少期に大脳辺縁系の発達を伸ばさずに

知識や知能を伸ばそうとする事によって

大人になった時に

感情のコントロールがわからなくて物や人を

壊してしまう突発感を制御できなかったり

博学で冷静に見えるが実は

感情の要求を伝える事ができず

恋愛で相手の欲求や要望を自分だけが

満たしてあげないといけない

一方的な疲労感を感じるなど

様々な形で現れるのかなあと

思います。スピリチュアルや心理学では

インナーチャイルドとも呼びます。

 

スピリチュアル的にも守護霊は水面下で

わからない様にきっかけを与え

様々な事を自発的に経験して欲しいから

人間が見ようと思わない限り

人間がアドバイスを求めない限り

口出ししてこないんだなあと思います。

 

 

言葉と本音の繋がり

それは子供で純粋さがあるからと

言って言葉と本音が一致しているとは

限らないし、本当の想いを大人によって

バラバラにしている事もあれば

子供が大人を困らせない為に

嘘をつく場合もある。

 

そう言う時にエネルギーで

みれると便利だなあと思います。

 

何が教育の正解かはありませんが

自分の構図を元に教育する時には

自分の固定観念や社会的常識や

されてきた教育など全てを

炙り出される様な感覚で

そこに対して、クリアな視点で

見た時に自分の凝り固まった

部分が崩れて何が子供の為になるのかを

フラットな視点から見れる様になった気がします。

 

みぞおち。

 

YouTubeもみてね!

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輪廻転生の間違い〜過去世は〇〇だった!の巻〜

 

「人が死んだ先にどうなるのか」

小学生で考える子も居れば、

大人でも全く興味のない人もいるでしょう。

 

少なくともこのページを開いたあなたは

気になる思想の一つだと思われます。

 

今日ここに書き記す事は

私が体感した輪廻転生の話です。

 

一般的に死んだ後に生まれ変わると聞くと

肉体が消滅した後にしか

生まれ変われないと捉える事もできます。

 

確かに地球の時間の概念としては

そうだと言えます。しかしながら私は

 

人は生きながらにして

輪廻転生していると

考えています。

 

例えば「木」をイメージして下さい。

木の根っこが腐り死んでしまうと

種が土に落ちていたとしても

風に飛ばされ見知らぬ土地で

根を張り、葉がなるまでには

当たり前ですが時間がかかりますよね。

これが一般的に輪廻転生のイメージなんじゃないかと思いますが

私が言う生きながらに

生まれ変わっている。

と言う感覚は木は四季ごとに

色が変わったり雨が降った時の葉と

太陽をカンカンに浴びた時の葉が

全く別物の姿になる様に

人間も感情が変化しますよね。

 

感情や肉体だけが変わるのではなく

魂のアップデートも起こっているので

生きながらに生まれ変わっていると

表現しています。

 

例えば江戸時代の人生を送っていた私が死んで

今の私に物理的に生まれ変わったとします。

しかしそれは地球の人が江戸時代、令和時代と名付けた地球で定義された時間の

進み方なので実際は全て

 

今起こっているんです。

 

宇宙は地球の時間感覚ではないので

過去も現在も未来も同時であり

繋がっています。

 

例えば令和にいる私がこうして

発信していますが、それと同時に

過去世に居る私は中国の王様で男性です。

黒の伝統衣装に黒の帽子を被り

帽子には水色のガラス玉の様な物が沢山

連なってジャラジャラさせていて

肘掛けに肘をついているおっさんです。

 

彼とアクセスすると性格も話し方も環境も

何もかもが違い、私は黒の服なんて

1枚も持ってません。

それに私はジャラジャラした物が嫌いで

わずらっこしいもんはいらん!って

パターで打つ構えを準備している様な人間です。

 

でも私と彼はどうやらエネルギー的には

同じテーマに取り組んでいます。

そして私がこういった発信をする前に

彼と霊視で繋がったのですが

その時に言われた言葉があります。

 

「民の為に発信する事は自分自身の身を

守る事でもある。それ故に発信する事が

己の生きる道なのじゃ」

 

と言うメッセージを貰いました。

 

彼は王様なので生活環境の不便は

ありませんが王様だからと言って

1番守られるべき人だと考えておらず

民が元気で喜ばしい状態でなければ

それはすなわち自分の生命が絶たれる時。

そんな現状と感覚が入ってきました。

 

しかし霊視は非常に高波動なので

記憶として留めておく事が難しく

すぐさまメモをし、文字と映像の繋がりで

覚える様にしていますが

人間には日々の睡眠、食事、仕事などの

生活がありますから一瞬は

「え?渡部さんがう、浮気?!」と

驚いてデジタルタトゥーされたとしても

一緒に生活している訳でもなければ

記者でもありませんから

関心は薄れていきますよね。

 

私も中国のジャラジャラおじさんの

言っていた事を全く他人事として

忘れて生活していたんですよね。

 

そうするとある日、身体中が痺れて

ヘルニアの手前と坐骨神経痛になり

寝ていても痛い、歩くとすぐ疲労

座っていてもお尻が痛い、違和感から

眠れない等が起こり

肉体労働であるマッサージが本職の

私にとって大いに痛手な状況。

でもこのまま仕事に行き続ければ

ブロック注射をしないといけないレベルまで

痛みや痺れが酷くなる事は予想できました。

 

その時思い出したんです。

あ、発信してない。と

 

私の頭の中にはスピリチュアルな事や

発信したい事が日々沢山流れ込んでくるのですが

先程言った通り、高波動の感覚を記憶として

留めておく事が難しいので

一度に沢山次から次へと

流れ込んでくる情報が

寝たあと日に日に、ぼや〜として来て

行動に移す時には、もはや

何からアウトプットすれば良いのか

どのように表現すれば良いのか

あの時あれだけ回転してたクリエイティブが

思い出す作業は記憶や思考になるので

あの感覚と情報を言葉にすんのー?!

えーめんどくさっ。とそうこうしている間に

生活がありますからそちらに意識をと。

てな具合で言い訳を重ね

日々流れ込んでくる事も

過去世の王様の言葉も忘れて

生きていた私ですが、

 

待てよ?過去世の王様が言った事

あれは未来予知ではないか!

 

そんです。わたすが未来のおじさんです。

だっふんだ。

あ、中国語だった。

「这是正确的。我是未来的叔叔」

 

なんですねえ。

 

過去世とアクセスした後の私は

「うんうん、発信しないと身体滅びるもんねえ

だって王様やもんねえ」

でも過去の事だから関係ないねえ〜モグモグ。

 

だったのですが過去・現在・未来が

同時に進んでいるので今の私が

「発信しない道」を選んだ時には

過去世のおじさんが言っていた

「身に危険が迫る」が因果関係がある

だったので今の私の

身体や生活が危ぶまれる未来に

乗って行ったんですね。

 

そして身体が資本だと痛感した私は

肉体が消滅する前にやっておきたい事は

なんなのか?を痛みのサイレンと共に

考えざるを追えず、自分の最期を

イメージしてみる事にしました。

 

そうすると借金してでも

何かにお金を使おう!とは思えず

大してお金も使わず、すでに

毎日食べたい物も食べれているし

発信に時間を使ってなかった間に

新しい趣味や施設ありとあらゆる娯楽を

やりまくっていたので

後は海外の景色を見るくらいしか

最期の自分に、かする好みが無く

海外にイメージで出かけ景色も見て

体の痛みの酷さも想像しました。

そうすると身体や場所やお金等

どうでも良い感覚になってきて

 

まだ感動してない!愛をもっと知りたい!

小さな幸せを感じる家庭を築いたり

自分の経験や生様を発信して

誰かが「自分に意識を向ける」

小さなボタンを用意できたらいいなあ

 

イメージの最期の私が望んでいた事は

贅沢でも、海外の刺激でも無く

小さな幸せを噛み締める経験や感動を

1人では無く人と繋がって共有、共鳴したい。

 

最期に隣にいてくれる人が欲しい。

そんな感覚では無く死に場所なんて

どこでも良くて孤独死でも良い。

ただ目に見えない感動と言う経験を

まだ沢山したいし、景色を見た時の感動ではなく

人を通して感じる感動。

 

そう思い居ても立っても居られず

ニートの療養生活を開始。

 

怪我をする前は発信よりも

海外旅行に行く事を目的に生き

ビシバシ貯金に励んでいたので

その貯金を使い、生きる資金や物資に対する

不安はないけれど時間がある状態を選択しました。

 

そこでまた気づいたのですが

 

今の私の生活って

「あのおじ王様と同じやん」と。

 

知らぬ間におじ推ししてもてたーーー^_^

推しと同じにしたい(ハート)

ってなってしもてるーーーー!!!

 

しかしおじ、間違えた。推しは

民が必然的にいるが

きっと私のこの発信は見て数人であろう。

 

フィールドがあまりに違うではないか。

 

そう思いながらも、彼は命を物理的に

かけて王として発信していて

私は物理的な命はかけてないが

自分の頭の中の世界を発信しないと

生きている心地がしない。

 

そんな風に推しと繋がっています(イェーイ)

 

今度、推しとお揃いのジャラジャラをつけて

通信してみたいと思います。

みぞおちでした。

 

YouTubeもみてね〜!!

https://youtube.com/@mizooci?si=82v9vC4TdbUHdFG4

 

 

 

 

人は何故、何者かになろうとするのか 20代の考察

人は何故、何者かになりたがるのか。

 

結論から言うと

「命が永遠だと言う事を知らないから」と

天界から言われます。

 

つまり人は

「一度きりの人生だ。」

「死ねばそこで終わりだ。」

と初期設定をされていて

肉体が滅びゆく事をこれでもかと

言わんばかりに知っていて

 

肉体の永遠はない=死の恐怖

をどれだけ平和な国であったとしても

物質が豊かに発展していても

死の恐怖は脳の1番上の引き出しに

ストックされていて、いつでも出せる位置に

あるのではないかと思います。

 

その固定観念や自己防衛本能が

引き出しの隙間からちらつく度に

 

「終わりを、認めたくない。」

「永遠があるのだと信じたい。」

 

そうどこかで思っているからこそ

「俺たちマブダチだよな」

「永遠の愛を誓った夫婦」

 

と自分たちの関係性の不確かさを

明確にしようとする「言葉」や

この関係性を半永久的に続けましょうねと

言う「保証」を書面に起こしてみたりするのは

 

「クソババア」「勝手に部屋入ってくんじゃねぇ」 と死の恐怖に対して

永遠はあるんじゃ!無いなんて言うな!と

反発心を抱く息子心と似ているんじゃないかと思っています。

 

そして人は「死ねば何も残らない」と

思っているからこそ生きているうちに

「何かを残したい」と思い

自分の分身である子供を持ってみたり

お金は減る物だからね。と

特に使い道を決めてなくとも

渋沢栄一の枚数を増やそうと

能力や労力を絞り出したり

おしゃれな物を身につけセンスを自身に

彫刻してみたり

 

そんな風に自分の内面を外側に

どれほど多くコピーして残せるか

職業を名刺代わりに

自分の人間性を表す材料にしてみたり

自分とは何か、人生の意味を表明するために

世間へ爪痕を残そうとしたり

人生の軌跡を残そうとする。

 

そう言う私本人も思考の軌跡を

今まさに残している最中だったりする。

 

この「死ねば何も残らない」と言う固定観念

「何者かになろうとする」ゲームに

置き換える事で死の恐怖から

少し逃れる事ができるのではないかと踏んでいる。

何者かになろうとしている時の副作用として

武装が取れなくなる事がもれなくセットで

付いてくる。

 

どれだけ多くの人から評価されるか

小刻みに人からの承認を必要としたり

社会や人に求められる事が存在価値である

そんな空白のスタンプスペースを書いた

自分と言う紙に、ハンコを沢山押される事で

太鼓判やお墨付きをもらい、

それが自分と言うブランドになる。

 

何者かになろうとしているつもりは

めっぽうなさそうな資本主義ではない国の

人達でも妻の人数や牛の数で

自分の器を示したり

伝統のイベントでどれだけ高く飛べるか

貧困であっても子孫を残す事を

やめない家庭がある様に

潜在的死の恐怖=「永遠はない」と

地球に来た時点で初期設定済みなので

永遠を追い求める旅の道中にそれが

質より量になって物質的な価値や

人からわかりやすく賞賛される武器を

才能や努力を使って形成しようとするのは

動物の中で人間だけではないだろうか。

 

冒頭に戻りますが「命が永遠だと言う事を知らないから」と天界は言いました。

ここで言う命とは肉体ではなく「魂」

感情ではなく「意識」をもった素粒子の事です。

永遠であると言う感覚は死んでからし

わからないものではなく

生きながらにして「永遠である」

と言う事を実感できると思っていて

重量のあるエネルギーではなく

軽やかなエネルギーを理解する事です。

 

「親友であろうとし続ける事」をやめる、

「生涯の伴侶であり、人生に居なくては困る

存在だ」と思うのをやめる事です。

 

離れなさい「宗教」ではないので

安心してください。パンツ履いてます。

 

じゃあそう思う事が何故、永遠なんだ?と

と思う方もいるかもしれません。

 

こう考えてみてください。

あなたの「今隣にいる人が永遠である」

 

例えば職場を変えるとあれだけ

仲が良かった同僚でも

そのエネルギーは次第に薄まり

残された人は新しい人と新しい

グループエネルギーを作る事に

意識を向けているし出て行った人は

自分を新しい居場所のエネルギーと

同化する事に注力するので

仮に会ったとしても「あの時の自分たち」の

周波数にチャンネルを合わし再放送を

見ている感覚に過ぎません。

 

エネルギーのチューニングが必要な関係性に

永遠を見出すと時に、それはストーカーと

呼ばれたり、復縁浦島太郎になりかねません。

 

今の自分のエネルギーと今の相手の

エネルギーが軽やかに繋がり

事実として互いの合意のもと

隣にいる人が永遠であると言う考えです。

 

つまり、生まれ落ちた家族だから。

大好きな彼氏だから。子供の頃からの親友だから。と環境や長期間過ごした相手だから

それを死ぬまで続けるのが当然だ。と言う

感覚はある意味、ここまで来たら

「失いたく無いですけど!

え、え、今更新しい人

探すんしんどいってえー!?

せやからな、一緒に腰下ろしてゆっくり

しといたらええねん。」

 

そんな風に、心のスローライフを望みつつ

学びを感じられない苛立ちから

不平不満も湧きやすいのが重量のある

エネルギーの永遠の人。

 

天界が言う永遠な人とは

今の私と幸せを「共有する」存在。

 

常にスロットが回転している様な感覚で

同じ絵柄の組み合わせを出し続けるのは

難しい様に長期間、同じパラレルワールド

居続けるには、お互いへの

適度な「関心」と従来進む「方向性」

何かしらの魂への「収穫感」

この3つの意識がお互いに揃わないと

エネルギーが循環しないので

長期間、永遠の人を「特定の人」で

やり続ける事は宝探しの発掘調査レベルで

難しいですが、量より質に意識を向ける属性の人は、難攻不落の冒険にワクワクして

「シャベル」を持たずに家を出て

「喋る」んだと思います。

 

私達に持たされた「時間」は

地球の人間が決めた24時間と速度

なので仮に地球時間として短かった出会いで

あったとしても、その一つ一つの出会いや

持たされた想いや気づきは

新庄さんの歯より真っ白でピュアなエネルギー。

 

濃密な学びと聡明な感覚

感謝、愛のエネルギーで隣にいる事の尊さに

満たされた時、永遠を定義するのに必要な物は時間、環境、形を表明する名前ではなく

[シンプルに今とても幸せ]

 

その感覚をもたらしあえる存在を

「永遠の人」と天界は呼び

肉体を滅ぼす前に天界が言う永遠の感覚を

体を持った状態で知る事は可能です。

 

スピリチュアル的な永遠を

感じる事ができたなら

誰かと比較した何者かになる→承認欲求

なりふりかまわぬ自分である→自己肯定感

 

同じ行動をしていても生命エネルギーの

湧き方が圧倒的に違うので後者は「使命」

とも呼びます。

 

私自身もキャリアアップをすれば

なんだか自分のステージが変わるんじゃないかと思ったり、箔がつく職種であれば自分の名前よりも先に登場させてやろうか。

と思っていましたが

 

その日暮らしの私、今の幸せや没頭したい事に周波数を合わせる日々を過ごす中で

竹刀を持った体育の先生が笑った時の様な

張り詰めていた空気が和らぐ瞬間を

感じられています。

それはひとえにニートだから。とは

言い切れません。ニートにだって

焦りやストレスはあるからです。

 

[何者かになろうとする]事で

負荷がかかり責任や喪失感や多くの

プロセスも学べるし

 

[何者かになろうとしない]事で

社会に自己価値を置く事を辞め

消費カロリーの少ない心と生活を

味わえました。

 

2種類の異なるエネルギー層の経験が

出来るんだと言う喜びを

噛み締めた私の将来の夢は

 

みぞおちになりたいと思います。

 

https://youtube.com/@mizooci?si=BjcwbUjBpeG88zaB